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文芸評論パスティーシュの見本帳(1)

Case Studies in Contemporary CriticismというシリーズがBedford/St. Martin's社より長く刊行されていたことがあります。古典名作へ「この立場の批評家なら、こんな風に評するだろう」と延々羅列するシリーズです。
対象古典をちょっとかいつまむと、ジョイス『ザ・デッド』、ブロンテ『ジェーン・エア』、ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』、ホーソン『緋文字』、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』、ブラム・ストーカー『ドラキュラ』....などなど。
どうもチョイスがあやしげです。ゴス腐臭すら漂います-----一応シェイクスピアの『テンペスト』『ハムレット』などもやっては、おりますが。
これはつまり、一見生真面目な文学評論風ですが、その実、文学研究者のパスティーシュ/批評なぞりだと思えばよろしい。編者側に、だいぶお遊び要素が強いです。

4560046344.jpg日本にもこういう真面目に遊んでいる本はないものかと探してました処、『知の教科書 批評理論』で、少し文例を創作され遊んでいる箇所がございました。
しかしどうも食い足りません。例示にパロディ臭が濃いうえ、なぞりの工夫がやや薄い。
もう少しパスティーシュの味つけの濃いものはないか折あるごとに漁っておりましたら、モロにCase Studies in Contemporary Criticismを抜書き翻訳した新書がありました。
こちらを紹介し、Case Studies in Contemporary Criticismシリーズの楽しさを、少しご紹介できればと思います。

0333914384.jpg書名は『批評理論入門 --『フランケンシュタイン』解剖講義--』
この本、前半「小説技法篇」はデイヴィッド・ロッジの『小説の技法』を翻案。後半「批評理論篇」は『Frankenstein--Case Studies in Contemporary Criticism』の翻案です。
ローリング・ストーンズ「サティスファクション」のサビとディープパープル「ハイウェイ・スター」のサビを足し「ロックな1曲作ったぜ!」と豪語するような、図々しさ漂う1冊ではございます。
著者ご本人もあとがきで自らネタバレされていらっしゃるので、まあ、その図々しさはこのサイトではよしとしましょう。

まずは、腐った女子ご用達の「クイア風批評」。ご丁寧にも、ゲイ版とレズ版をご用意。
Queer_Studies.jpg
クイア:ゲイ批評風
『フランケンシュタイン』は、男同士の関係を中心に描いた作品である。語り手ウォルトンも、姉を慕ってはいるが、何よりも欲しいものは友人だと言っている。趣味が一致し、自分を見守り励ましてくれる、共感し合える男友達を持つことに、彼は憧れる。異性との恋愛に関する経験や憧れについては、彼はいっさい語らない。
海上でフランケンシュタインに出会ったウォルトンは、たちまちこの新しい友に夢中になり、「その愛は日に日に募る」(第四の手紙)と語っている。

 ゲイ批評的観点から見てもっとも注目すべき関係は、ヴィクター・フランケンシュタインとヘンリー・クラヴァルの関係であろう。怪物を造った翌日、熱病に倒れたフランケンシュタインは、そのまま意識を失い、数か月間寝たきりになる。その間ずっとクラヴァルが、ひとりきりでフランケンシュタインに付き添う。彼は大学に出てきたばかりだったのに、自分の勉学を打ちやって、友の看護に専念したわけだ。そのうえ彼は、フランケンシュタインの郷里の家族に心配をかけまいと、容態を隠しておいたという。「クラヴァルは、私にとって、自分ほど気のきく優しい看護人はいないということを知っていた」(第5章)とフランケンシュタインが述べるとき、なにか二人の関係には特別な親密さが含まれているように響く。
回復したフランケンシュタインは、友に向かって叫ぶ。「最愛のクラヴァル、きみはなんて親切で、ぼくによくしてくれるのだ」(第5章)と。フランケンシュタインは、エリザべスのことを「愛しい愛しいエリザべス」(Dear, dear Elizabeth)と言ったりしているが、彼女にさえ、「最愛の」(Dearest)いう最上級の呼びかけはしていない。

 フランケンシュタインは、クラヴァルを大学の教授たちに紹介する義務を果たしたあとも、彼とともに机を並べて文科系の学問を学んだりしながら過ごす。「見知らぬ土地にクラヴァルをひとり残してゆきたくない」(第8章)という理由から、彼はずるずると滞在を引き延ばし、帰郷を延期するのである。
 帰郷の日取りが決まる前に、クラヴァルの宴で、二人はインゴルシュタット周辺巡りの徒歩旅行に出かけることになる。クラヴァルとともにたっぷり2週間、心ゆくまで楽しい時を過ごしたフランケンシュタインは、心の重荷からすっかり解放され、歓喜に満ちて叫ぶ。「すばらしい友よ!きみはなんて心からぼくを愛してくれたのだ!きみは、なんとかしてぼくの心を、自分と同じ高さまで引き上げようとしてくれたのだね」(第6章)と。このあたりの箇所は少し奇妙である。これまでフランケンシュタインに、故郷の家族にもっと便りを出すようにと勧めていたクラヴァルが、ここで彼を旅行に誘い出すのは、一貫性に欠けると、モーリス・ヒンドルも指摘している。まるでクラヴァルは、フランケンシュタインを家族から遠ざけようと「誘惑」しているようだと。

 フランケンシュタインが怪物との約束を果たすために、イギリスへ旅するさいにも、エリザべスの気遣いによって、クラヴァルが同行することになる。こうしてふたたびフランケンシュタインとクラヴァルは、二人きりで半年間に及ぷ思い出の旅行をする。友と別れたあと、フランケンシュタインは女の怪物を造る仕事に取りかかるが、完成間際にこれを解体してしまう。これに対して、怪物がどういう復讐の仕方をしたかは、興味深い。怪物が殺したのは、フランケンシュタインと血のつながった父でも弟アーネストでもなく、クラヴァルとエリザべスだった。つまり怪物は、自分の性的伴侶を奪われた苦悩をフランケンシュタインに味わわせるために、フランケンシュタインの同性と異性の伴侶を選んだのではなかったか。

クイア:レズビアン批評風
 『フランケンシュタイン』この作品では、女性同士の関係は一見希薄に見える。しかし、これをレズビアン的観点から読もうとする試みもある。そのさいもっとも注目される人物は、フランケンシュタイン家の召使いジャスティーヌだ。作品中で、異性との関わりのない女性は、怪物の隣家の娘アガサと、ジャスティーヌの二人だけである。しかも、アガサには夫や恋人はいなくても、父や兄との関わりがあるのに対して、ジャスティーヌは男性との関係においていっさい描かれていない。
彼女は母モリッツ夫人に苛められ、フランケンシュタイン夫人に救い出されて、同家の召使いとして引き取られる。ジャスティーヌは、エリザべスの言によれば、女主人キャロラインに憧れ、その言葉遣いや物腰をそっくり真似さえしていたという。

 そしてジャスティーヌは、ウィリアム殺しの濡れ衣を着せられ、有罪判決を受ける。処刑を前にして彼女がエリザべスと会話を交わす場面は、ことに同性愛的雰囲気が濃厚である。エリザべスはジャスティーヌに、「いっしょに死にたい」、彼女なしには生きてゆけないと言う。ジャスティーヌのはうは、「かわいいお嬢様、最愛のエリザべス、私の大好きなただひとりのお友だち」と呼びかける。これらの熱烈な言葉は、たんに生死の別れを前にした興奮状態によって発せられたものでほなく、そこに同性愛的な情念が含まれていると、レズビアン批評家フラン・マイケル(Frann Michel)は見るのである。

この作品が書かれた当時、女性同士の親密な関係はどのように見られていたのだろうか。母と娘、姉妹、同じ階級の女友達など、似た者同士の場合は、精神的で純粋な関係として許容されていたのに対し、階級や人種など社会的に異なる立場の女性同士の関係は、不純で淫らなものとして嫌悪されていた。そのような時代背景において見るとき、自分とは階級の異なるキャロラインやエリザべスに愛着を抱くジャスティーヌは、当時の読者に疑惑を抱かせかねない人物であった。そうすると彼女は、たんなる冤罪の犠牲者としてのみならず、同性愛という不浄の罪ゆえに、死んでも当然の女性だということになる。
 現に、作者の夫パーシー・シェリーは、エリザべスが手紙のなかでジャスティーヌについて語っている部分に、次のような書き込みを加えている。
 私たちの共和国制度の慣習は、周囲の大きな君主国に比べて、ずっと単純で幸福なものです。だから、ここに住む人々の階級の差は、よそほどはっきりしたものではなく、低い階級の人も、それほど貧しくて蔑まれているというわけではありませんし、態度も品行方正です。ジュネーヴでは召使いといっても、フランスやイギリスの召使いとは、わけが違います。  (第6章)

 この部分はふつう、自由思想家パーシーによるイギリスの階級制度批判として読まれる。しかし、ジャスティーヌとエリザべスの階級差を緩和することによって、二人の関係が同性愛であるという印象を避けるために、パーシーが妻の原稿に手を加えたという可能性も、否定できない。
 少なくともパーシーとメアリは、身近にレズビアンの存在を知っていた。それはほかならぬメアリの母ウルストンクラフトであった。ウルストンクラフトには、自分より階級の低いファニー.ブラッド(Fanny Blood)という親しい女の友人がいたが、その関係は同性愛的なものであったと推測されている。ウルストンクラフトの半自伝的な小説『メアリ』(Mary, 1788)に描かれている女主人公メアリとその友アンの関係も、かなり同性愛的雰囲気が濃厚である。もちろんこの小説を読んでいたパーシー夫妻は、当時のレズビアン恐怖症に対して、かなり鋭敏になっていたにちがいない。(つづく)
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