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ドナルド・マックの デイヴ・バリーを笑う

デイヴ・バリーを「おバカコラム」呼ばわりする向きがあるようです。
デイヴとて、浅薄な毎日をのんべんだらりとやり過ごすお前らクズどもに、バカ呼ばわりされたかぁないだろう、と思うんでございますが。


わが国でデイヴ・バリーといえば『デイヴ・バリー 日本を笑う(Dave Barry Does Japan)』なんでありまして、007といえば『二度死ぬ』、SFといえば『チバシティ』…ま、そういう島なんありますよ、オラが国は。イナカモノ・コンプレックスに根づく「オラが村びいき」が見え隠れするんでございます。


今現在もチャキチャキの第一線ネタ書きであるデイヴ氏。辺境探検の急先鋒コラムニストとして、日本群島風土記ていどではもはや編集者が納得してくれなくなったか、昨今は50歳の老体に鞭うち、火星や金星にまでおでかけのご様子。ビッグバンや黄泉の世界ルポを著す日も、そう遠くはないでしょう。
それに比べればまだまだ可愛いモンだったころの辺境観光シリーズ『日本を笑う』の中には「酢豆腐」を見に行くくだりがあり、フロリダのヤンキー・デイヴの感想は
  物知りの男が傷んだトーフを食べる?
  ただそれだけのジョークを聞くために、20分も辛抱強く待っているなんて!
…なるほど。ごもっとも。
ご当節、脳内にカビのはびこる文化人類学者以外使わないでしょうが、かつて辺境探検とは
  シリアスな語り口で未開社会を通し
  近代文明への警鐘をほのめかすのがトーゼンの展開
でした。21世紀の秘境は、ただの茶化すネタに成り下がりましたとさ。


そんな「デイヴの秘境探検を笑う」シリーズを少し離れ、ここでは『デイヴ・バリーのアメリカを笑う(Dave Barry Slept Here)』をご紹介します。
本著のネタが面白いのは勿論ながら、『デイヴ・バリーのアメリカを笑う』は、永井淳さんの翻訳である処も高ポイント。
他のデイブ・バリーの多くは東江一紀さんが翻訳を手がけられ、まあ、それはそれで、えー、よくこなれた翻訳をされていらっしゃるんでございまして、「訳者に恵まれ」なんぞの評価も日本語圏内では高いらしいんですが、あー、そのお、なんつーか、悪ノリが過ぎるトコがあるんでございまして…あ、いやなに、いいお仕事されてるんですよ、ええ。
ただ、あの“東江版訳者あとがき”を割愛する勇気があれば、もっといい仕事になったと思う。


筆のすべりついでに罵らせていただくと、アメリカン・ユーモア・コラムのあとがきは、なぜ揃いも揃ってあれほど的をはずした文章ばかりを掲載するのでしょうか?なにか出版業界上のしきたりやジンクスがあるのか?博識な諸兄に教えを請いたい。
ちなみにワタクシの知る中でザ・ワースト・オブ・あとがきは、この『デイヴ・バリーの日本を笑う』のほか
  アート・バックウォルド傑作選あとがき(池内紀/筆 文藝春秋刊)
  マイク・ロイコ傑作選あとがき(枝川公一/筆 河出書房新社 刊)
です。いずれ劣らぬひどいもので、これから亭主に毒でも盛ろうかという間際や、わが子を虐待し半死半生の目に遭わせてやろうと画策する際の踏ん切りに、じつに効率よく短時間で不愉快さを増長してくれる実用的な文章です。


『アメリカを笑う』原文『Dave Barry Slept Here』の一部は、左の表紙クリックでご覧いただけます。
全編こんな調子でして、つまりはアメリカ史を下敷にネタを挿し込んだというだけの本なのでございます。年号まではなんとか調べたものの、日付に至っては面倒くさいからみな息子の誕生日・10月8日に統一しちまえ!てな調子。おかげで、こんなアバウトな時空間が、ほうぼうに登場します。

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しかし、チャールズ・A・リンドバーグという名を持つただの長身の若いアメリカ人飛行士の業績以上に、狂乱の20年代の精神を象徴する出来事はなかった。
飛行機がほとんど離陸できないほど空港を過密化させた高度の安全策のおかげで、空の旅がきわめて安全になった今日の商業航空の時代に生きているわれわれには、リンドバーグが彼の単発機ハイディ=ホー4世の狭いコクピットに乗り込み、“コーパートーンを塗れば ヤケドせず きれいに日焼けが!”と書かれた横断幕を引きながら、ロング・アイランドのローズベルト飛行場上空の、10月8日の夜明け前の薄明に飛び立つのに、どれほどの勇気を必要としたか想像もつかないだろう。

それは楽な飛行ではなかった。乱気流のために飲み物のサービスはなく、おまけに映画はリンドバーグがすでに見てしまった映画だった(たぶん『ポセイドン・アドベンチャー』)。
にもかかわらず彼は辛抱し、33時間後の10月8日午後にパリ近郊の飛行場に到着し、時速140マイル以上のスピードでフランス人の群集の中へ突っ込んで行った。
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かくてコロンブスは集められるかぎりの大胆不敵な船乗りたちのグループを集めた。この連中がどれほど大胆不敵だったかといえば、もしも当時電球が発明されていたとしたら、それをソケットにはめこむのに少なくとも彼ら3人を必要としただろうといえば、われわれのいわんとするところがわかっていただけるだろう。
1492年10月8日、彼らは3隻の小さな船、ニンジャ号とピーニャ・コラーダ号とハイディ=ホー3世号に分乗して、荒れ狂う大西洋に船出した。さいわいコロンブスは詳細な航海日誌をつけていたので、つぎに掲げる抜粋から、彼らの航海がいかに長期にわたる過酷なものであったかをある程度までうかがい知ることができる。

  10月8日――やれやれ、なんて長い航海なんだ!おまけにひどく骨が折れる!

しかし、何週間も嵐に翻弄された末、コロンブスと彼の部下が二度とふたたび陸地を見ることはあるまいと思われたとき、ついに見張りの興奮した叫び声が聞こえた。
「おーい!」彼は叫んだ。「おれたちは帆を揚げるのを忘れたぞ!」
それを聞くと一同腹を抱えて笑い、やがていまいましい帆を揚げた。それから数時間たった10月8日に、彼らはひとつの島に到着し、コロンブスと手近の通訳が上陸して、島の酋長とつぎのような歴史的会話をかわした。
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全編これハナくそジョーク("booger joke"デイヴ氏自身の命名)の中、ワタクシが一番ウケた一節をば。
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1948年に、民主党は彼は負けるだろうのスローガンのもとにトルーマン大統領を指名する以外に選択の余地がなかった。politician(政治屋)も、press(新聞屋)も、pollsters(選挙予想屋)も、piccolo player(ピッコロ吹き屋)も、Peter Piper(ピーター・パイパー屋)も、ぴとりぽこらずそう感じていた。
一方共和党は自信満々で、唯一の業績が十進分類法の発明という人物、トマス・デューイを指名したほど余裕があった。
トルーマンは根気強く全国を遊説してまわったが、彼の運動は絶望的に見えた。
デューイの勝利はもはや動かぬと見て、投票日の夜、≪シカゴ・トリビューン≫は第1面に有名な見出し、デューイ、トルーマンを破るを打ったほどだった。事実デューイはトルーマンを破ったのだが、トルーマンがただちに原爆を落とすと脅迫したので、人々はみなハハハ、冗談だよといって、喧嘩っぱやい元男子用雑貨店主にもう1期大統領をやらせるという賢明な選択をした。

(いずれもデイヴ・バリーのアメリカを笑う 永井淳 訳 集英社 1995 を適宜抜粋改行、一部改訳)

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ちかごろはブログなんかもやっておられ、なかなかの人気を博しておられます。この方面のお好きな向きは、ご一読を。
http://weblog.herald.com/column/davebarry/
2004.09.24初出
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このサイトは、かつて「Lankin' A Go! Go!」というサイト名で別URLにて公開していたネタや記事を多く改稿・転載しています。


記事末に初出年月日を記載しています。初出の場合には無記載です。
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