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お笑い文豪ビギナー体験講座へ ようこそ

以前どこかに、お笑いテキストの笑える賞味期限は最長でも100年ていどだと書いたことがあります。
100年以上経てしまうと、言葉遣いが変わってしまうため、その時代の瞬間を固定化する「書き言葉」にあっては、面白味が通じなくなってしまうのです。落語などが100年以上前の話芸を維持できているのは口承伝承ゆえの強みであって、演者が時代に応じクスグリを入れ替えときには話そのものも変形させたからこそ、今日でも笑うに耐えた状態を維持しているのだといえます。
時間の試練とは、誠に過酷です。

そんな中、100年以上も前のネタながら、今でも面白いテキスト書きとしてその作品が残っている人も僅かながら、存在します。
ステファン・リーコック(Stephen Leacock)は、数少ない、名を残したユーモア作家のひとりです。




小学生は、算数のはじめに加滅乗除の四則をおぼえ、小数と分数をようやく征服すると、自分の眼前に果てなき問いかけの大平原が続いていることを知る。
この質問には「問題」という名がついている。
どれもが冒険と努力を扱った短篇小説で、結末がはぶいてある。
どれもよく似かよっているが、あながちロマンスもないわけではない。
これら「問題」のプロットには、A、B、Cと呼ばれる三人の人物が登場する。
設定はたいていこんな感じではじまる短編だ。

「AとBとCがある仕事をすることになりました。Aは1時間にBの2時間分の仕事、Cの4時問分の仕事ができます。3人はどれだけの時間、はたらきましたか」
あるいは
「AとBとCが溝を掘ります。Aは1時間にBが2時間かかって掘る長さの溝を掘り、BはCの2倍の早さで溝を掘ります。3人はどれだけの長さの溝を……」
はてまた
「AはBやCよりも速く歩けると言い、賭けをしました。AはBの1.5倍の速さで歩き、Cはのろのろと歩きます。3人はどれだけ遠くまで……」

AとBとCのすることは、種々さまざまでは、ある。
これもひとむかし前の算数のころは、3人はいつも「ある仕事をする」で満足していた。しかし、この表現はどうもあいまいだ謎めいている、それともロマンチックな魅力に欠けている、とかなんとか見なされたらしく、最近は競歩だの溝掘りだのボートレースだの薪割りだのと、はっきりなにをするか記載するのが文壇の主流となりつつある。
ときどき3人は商売っ気を出し、いにしえの太古よりひきずり続ける謎の「ある金額の」資金をもとに、共同経営で店をはじめることもある。

ともあれなによりも、3人は、体を動かすのが大好きだ。
競歩に飽きると、Aは自分だけが馬か自転車に乗り、気の弱い2人の友人をとぼとぼと歩かせ勝負を挑む。つぎは機関車競走、おつぎはボートレース、それともぐっと古風な趣向で駅馬車を借りるか。ときには川へ出かけ泳ぐ。
遊びをやめ例の「何かの仕事をする」にしても、ポンプで水を汲み上げ水槽を満タンにするような肉体労働を好む。3つの水槽のうち、2つは底に穴があいていて水が漏り、残りたった1つの水槽だけは一滴の水も漏らない。もちろんAが漏らない水槽をとる。
それだけではない。
Aはいつも自転車を独占し、いちばんいい機関車を選び、川下へ向かって泳ぐ権利を確保する。3人はギャンブル狂で、なにをやるにしても金を賭けたがる。
そしてAがつねに勝つ。
算数の教科書のはじめのほうでは、この3人の正体はジョンとウィリアムとヘンリーという名前に隠れ、よくビー玉の分配でいさかいを起こしていた。代数では、X、Y、Zと呼ばれることも多い。しかしこれらはただのクリスチャン・ネームであり、実はまったく同一人物だ。


さて、算数の「問題」の果てしないページの大平原をヘトヘトになりながら彷徨い、この3人の歴史を追い続け、彼らが余暇に薪を持ってふざけあい、穴のあいた水槽を満たそうと汗を流すのを見守り続けてきた我々にとって、この3人はただの記号以上の存在となる。我々同様に血肉をそなえた生きもの、情熱や野心や欲望を持った人間として、親近感を持つ。
それでは、この3人を順々に見ていこう。

Aは、血の気が多くて鼻っぱしが強く、やたら馬力があり、短気で強引だ。何かをやろうと言い出すのは必ずこの男で、Bに力くらべを挑み、賭けを申し出、ほかの2人をむりやり自分のゲームに引っ張りこむ。Aは抜群の体力と稀に見る持久力の持ち主でもある。48時間歩き続けたこともあれば、96時間ボンプを動かし続けたこともある。その生活は目のまわる忙しさで、しかも危険がともなうこともある。あなたのちょっとしたケアレスミスで合計値を誤ってしまえば、2週間不眠不休で溝を掘ることにもなりかねない。万一、答が循環小数になったりしたら、命を落とす可能性すらあるのだから。
Bはおとなしく気のいい男で、Aを怖がりいつもAに威張りちらされているが、弱虫のCに対してはとても優しい兄貴分だ。だが賭けの負けがかさみスッカラカンで、Aには頭があがらない。
かわいそうなCは、うら悲しい顔をした小柄で虚弱な男。絶えず不利な環境下で競歩だ溝掘りだ水汲みだのをやらされたためか、最近体調をくずし神経も滅入っている。憂さばらしにと酒を浴びるようにあおりタバコをふかし続けるためか、ますます不健康に拍車がかかり、今では溝掘りの最中にも手が震える始末。Cには他の2人のような体力がない。いみじくもハムリン・スミスが書いているように「Aは1時間にCの4時間ぶんの仕事をやってのける」のである。


わたしがはじめてこの3人を見かけたのは、ある日の夕方、ボートレース直後だった。
3人はボートで競走し、Aが1時間にBの2時間ぶんまたはCの4時間ぶんの距離を漕げるのが明らかになったあとで、BとCはもうへとへと、おまけにCは咳がとまらない。
「なあ、心配するなよ」とBがCを励ましているようだ。「すぐにソファヘ寝かせ、アツアツの紅茶を作ってやるよ。」
ところがそこへAが颯爽と現れ大声で呼びかけるのだ、
「お-い、ハムリン・スミスにやつんトコの庭の水槽を見せてもらって来たぜ。
 明日の晩までポンプを使ってもいいんだとさ。
 賭けてもいいが、ふたりが束になってかかってきても、おれは勝てる。
 さあ、こいよ。
 どうせ汗になるんだ、ボートを漕いだときのそのままの服でいいだろ。
 ああ、そうだ。
 きみらの水槽はすこし漏るけどな、C。」
それはあんまりじゃないか、おまけにCはクタクタなんだぜ、とBが文句をいっている声が聞こえたが、結局は、3人揃って出かけてゆく。まもなく、水音から判断しても、AがCの4倍も早く水を汲み上げるのがわかる。
それから何年ものあいだ、しょっちゅうこの3人を町で見かけたが、いつも忙しげだった。中の誰かが食事をしたとか、睡眠をとったとかいう話はあまり聞かない。

そのうちに、こちらの都合で長く家を空けることになり、しばらく3人にも会えなくなってしまった。
ひさしぶりに町へ帰りいぶかしく思ったのは、AとBとCのあの忙しげな姿が見あたらなくなってしまったことだった。かつての馴染みに話しついでに尋ねてみたところ、今ではその方面の仕事はMとNとOがやっており、代数の仕事には、α、β、γ、δという名の4人の外国人が雇われることもあるという。

たまたま通りを歩いていると、昔なじみのひとりDが、自宅のつましやかな表の庭で草とりをしているのを目にした。Dはもう高齢で、ときどきAとBとCだけでは手不足な場合、たのまれて仕事を手伝っていた男だ。
「あの3人を知ってるかって?」とD。「むろん、知ってますわい。まだあの3人が括弧にはいってたガキの時分からね。
 A坊ちゃんは豪儀ないい若い衆だが、気立ての優しいのは絶対にB坊ちゃんだと、わしゃあ、いっつも、そう言ってたもんさ。
 そう、そうそう。あの頃はみなでいろんなことをやりましたなあ。
 けど、わしが仲間入りしたのは“単純な肉体労働”てやつだけでしたぁね。
 レースだのなんだのはご勘弁ねがったね。
 いまじゃこんなに年とって、情けない話だが、体がいうことを利かねえ――この庭で土いじりでもして、対数の花を咲かせたり、公分母の苗を育てるぐらいが関の山じゃ。
 ユークリッド先生だけは、命題を出すときに、いまでもわしをお使いなさるがねぇ。」
この老人の長話から、わたしは昔の知りあいの悲しい後日談を聞いてしまうことになる。


長い長いD老人の話をかいつまむと、わたしが町を離れ間もなく、Cはまだ弱った体調にも関わらず、例によってまたAとBが賭けをし川でボ-トをこぐことになり、Cはバンク(堤防)上を走ったあとドラフト(吹きっさらし)に長くすわっていたようだ。さらにバンク(銀行)はドラフト(手形)をはねつけ、バンク&ドラフトのダブルパンチが、Cにはかなりこたえたらしい、AとBが家に帰ってみると、Cがベッドでぐったりしていたという。
Aは乱暴に彼を揺さぶり、起きろよ!C!いまから薪割りだ!とうながす。
Cの疲れ果て辛そうな様子に、Bは反対したらしい。
「おい、待てよ、A。
 いくらなんでも、ひどい。
 今夜のCは、とても薪割りなんかできる体じゃない!」
するとCが弱々しい微笑を浮かべ「ベッドの上で起きあがれたら、なんとか付き合えるがな…」
これを聞き、Bはすっかり動転した。
「こりゃただごとじゃないぞ、A!
 ぼくは医者を呼んでくる。
 このままほっといたら、Cは死んでしまう!」
Aはかっとなって答える。「医者を呼ぶ金もないくせに!」
Bはきっばりいいかえす。「無理数を承知で、いちばん少ない小数にしてくれとたのんでみるさ。それならなんとかなる。」

このときでも、治療次第ではまだCの命は助かったのかもしれない。ところが、投薬ミスが発生した。ベッドわきの括弧の中に入れてあった薬を、看護婦がついうっかりしてプラス・マイナスの符号を代えず括弧からとりだす計算ケアレスミスをしでかした。因数分解の初歩でよくあなたも失敗した、例の、あれだ。
この大失敗のあと、Cの容態は急変してしまう。
あくる日の夕方、小さな部屋にも夕陽の影が差し込むころには、Cの臨終が近いことは誰の眼にも明らかだった。さすがのAも塞ぎ込みうなだれ、これというあてもなく、Cの辛そうな呼吸数のことで医者に賭けを申し込んだという。
「……A。」Cはささやいた。「ぼくは……、すごい速度であの世へ旅立とうとしてるようだ……。」
「どれぐらいの速さだ?」とA。
「さあ……わからない」とCはいった。「だけど、なんだか、すごい速さだよ…」
束の間Cは気力を奮い起こし、やりかけのままのあるひとつの仕事のことを尋ねた。Aは後は引き受けたからというと、Cは安堵の微笑をほんのり浮かべ、静かにゆっくりと、息をひきとった。
Cの魂が天に駆け昇るあいだ、Aは悲しみと賛嘆をこめ、その飛行速度を計測した。
Bはこらえきれずわっと泣き出した。
「あの小さい水槽も、Cがいつもボートを漕ぐ時に着ていた服も、どっかへしまってくれ!
 もう、ぼくは、二度と溝を掘る気にはなれない!」


Cの葬儀は簡素なものだった。
ささやかな葬式は通例のものとまったく変わりはないが、往年からのギャンブル・ファンと数学者たちに敬意を表し、2台の霊柩車をAは手配した。どちらの車も同時に出発し、Bの運転する車には薄倖の友人の遺骸を納めた黒塗りの平行六面体を載せた。Aはカラの霊柩車を運転し、スタート時に気前よく100ヤードのハンデに同意したものの、結局Bよりも4倍早く車を走らせ、Aは墓地に一番乗りした。
墓地までの距離を答えなさい。

石棺が安置されたあと、お墓のまわりにはユークリッドの第1巻からやってきた循環小数がとぎれることのない長蛇の列を作り故人を悼んだという。

Cが亡くなったあと、Aは人がすっかり変わってしまった。Bとの競争にも興味を失い、溝掘りにも気乗りしない様子だった。そのうちにとうとう請負仕事をやめ引退し、いままで賭けで稼いだ金の利子で暮らすようになった。
BはCの死のショックから二度と立ちなおれなかった。悲しみのあまり、次第に頭がおかしくなってきたという。いつも気分は塞ぎ込みがちでモノシラブルの単語しか目にしない。みるみるうちに病状は悪化し、やがて初心者にも決して難しくない規則的な単語しかしゃべらなくなった。本人も自分の不安定な状態に気づき、自発的に精神病院への入院を希望した。入院してからのBは算数をかたくなに避け、『スイス家族ロビンソン』を1シラブルの単語だけで書ぎ綴る仕事に没頭したという。

Laugh With Leacock, "A, B, and C" (Kessinger Pub Co;)より私訳。適宜改行。
訳にあたっては、浅倉久志氏の翻訳を参考といたしました。)



ステファン・リーコックというと、ホームズ物のパロディ・パスティーシュ先駆者のほうが先に思い出される向きもあるやもしれません。
とても多才な学者さんで、面白いテキストも学術テキストもたくさん残してくれています。カナダではちょっとした文豪扱いだとか(http://www.collectionscanada.ca/leacock/index-e.html)。
ご多分に漏れず「マーク・トゥエインの再来」の称号もいただいております。この頃の文壇批評家は、上手に面白く書けるアメリカ人をみんなそう誉めれば世論が納得したらしい。私が知るだけでも少なくとも20人は“マーク・トゥエイン再来”呼ばわりされたはずだ。
しかもカナダ人だよ、ステファン先生は。さらに言えば、生まれは本国グレート・ブリテンだってば。


なぜか日本語訳されるとき“スティーブ”リーコック、と表記されることがあるようです。なにか理由があるのでしょうか、ご教示伺いたく。
(2005.05.04 初出)
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