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ビリー・ワイルダーは京都・丸善に爆弾を仕掛けるか

トッツィー』を観たあとに、こう思った。
「あ。ダスティン・ホフマン(あるいはシドニー・ポラック監督)は、『お熱いのがお好き』を観てるな。」
ミセス・ダウト』を観たあとに、こう思った。
「ああ‥‥。ロビン・ウイリアムス(あるいはクリス・コロンバス監督)は、『トッツィー』は観ているが、『お熱いのがお好き』は観ていないな‥‥」
歳をとるにつけ困るのは、昔の映画の似たようなシット・コムをすぐ思い出し、比べてしまうことです。渋々女装を余儀無くされるシット・コムを見る度に、どうしてもビリー・ワイルダー、マリリン・モンローそしてジャック・レモンのスクリューボール・コメディ『お熱いのがお好き』と比べてしまいます。
『お熱いのがお好き』はさほどゲラゲラ笑えるとは言い難いコメディ映画です。
だが興行的には当時記録的な大ヒットを飛ばし、前作『七年目の浮気』――おなじみの地下鉄通風口で白スカートのめくりあがる例のあれです――とのペアで「セクシー・シンボル」マリリン・モンローを完全に定着させた映画。ビリー・ワイルダー監督の「ショー・ビズとしての映画づくりの巧さ」を最もコンパクトに知ることができます。『お熱いのがお好き』は“お笑いカタログ”としてご紹介するにはややお笑い度は低くなってしまいますが、ビリー・ワイルダーという映画監督の仕事の巧さを知るには適材でしょう。
このあとマリリン・モンローは激務に耐えかねたか、変死してしまいます。このあたりはほうぼうあまたある映画通のかたのサイトや和田誠にお任せすることにいたしまして。


さて。
マリリン・モンローばかりがクローズアップされがちな『お熱いのがお好き』ではありますが、実はコメディ好きの向きには、ジャック・レモンの名脇役演技ぶりに、注目していただきたいところ。実際ストーリー上では彼が主役なのですが、マリリン・モンローのインパクトに喰われてしまった、という言い方のほうが正しい。

ビリー・ワイルダーは'50からの約15年間に、本当に良い仕事をたくさん残してくれました。
 1950 サンセット大通り(Sunset Boulvard)
 1954 サブリナ(Sabrina)
 1955 七年目の浮気(The Seventh Year Itch)
 1957 昼下がりの情事(Love in the Afternoon)
 1959 お熱いのがお好き(Some Like it Hot)
 1960 アパートの鍵貸します(The Apartment)
 1961 ワン・ツー・スリー(One, Two, Three)
これ以外にもいろいろな脚本やセカンド撮影ユニット監督として参加していますが、まずは上の7作品は群を抜き良い作品だと思います――必ずしも「コメディの範疇」に入らないものもありますが。ビリー・ワイルダーに触れてみたいかたは、まずは上記の7作品をご覧ください。いずれ劣らずビリー・ワイルダーの「映画づくりの巧さ」を堪能いただけます。

ここでは「お笑いカタログ」の主旨に添い、殊にジャック・レモンを起用した際のビリー・ワイルダーの面白さをおすすめしたい。上記の7作品内でジャック・レモンが活躍してくれるのは『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』の2本。
その後もたくさんのビリー・ワイルダー映画にジャック・レモンは登場し、ビリー映画の常連キャストとなるのはご承知のとおり。
永年の相棒として、ジャック・レモンが1986年に10回目(!)のオスカー賞授賞式で、「ワイルダーズ・ラック」と陰口をたたかれていたエピソードについてスピーチしています。ワイルダーとレモンの深い信頼感がよく表れた面白いエピソードかと思います。
レモンは、“自分は28年間にわたりワイルダーの映画に出演してきたが、勝手気ままに無理な注文をつけられることが多々あった”と前フリし
「1960年に『アパートの鍵貸します』の撮影が始まる前、私の上司を演じるはずだった俳優が心臓発作で倒れ、そのまま亡くなりました。あとを引き継いだフレッド・マクマレーは映画のあとまで生き延びました」
横で紹介を受けるワイルダーは「心臓を悪くして死んだのはポール・ダグラスだったな」と付け加える。

「1961年に『ワン、ツー、スリー』を撮ったあと、主演俳優が“もう二度と映画なんて出ないぞ!”と啖呵を切り、そのまま引退してしまいました」
ワイルダーはいう。「ジミー・キャグニーだな」

レモンのスピーチは続く。「同じくやはり『ワン、ツー、スリー』の時、ホルスト・ブーフホルツは撮影終了の直前に交通事故を起こしてしまいました。彼の出番が終わってからのことです。ブーフホルツはポルシェを運転していて木に衝突し、危うく命を落とすところでした」
ワイルダーは一部を訂正する。「ポルシェじゃなくてキャディラックだよ。それに酔っ払い運転だ」

レモンはゲストを前にしさらにいけしゃあしゃあと語る。「1964年には、ピーター・セラーズが撮影開始から6週間目の日曜日に重度の心臓発作を起こしまして、製作は中断せざるをえませんでした。結局、レイ・ウォルストンが交替することになり、彼は生き延びました」
ワイルダーはいう。「あのときは4週間も中断があったっけな」

「ワイルダーは1966年には『恋人よ帰れ!わが胸に』を撮りました」レモンは栄えあるこの日のスピーチにまだまだ不幸のリストアップを続ける。「8週間、撮影が進んだときのことです。またしても主演俳優が心臓発作を起こしました。またも日曜日でした。彼が回復するまで、撮影は5ヶ月間中断を余儀なくされました」このとき以来ワイルダーは、1週間の7番目の日のことを“ブラディ・サンデー”と呼ぶようになったという。
彼はここでも主演俳優の名前を補足した。「そうだ。ウォルター・マッソーだ」

1981年に『バディ・バディ』が撮られた際には、トレーニングを積んだ届強な俳優、ウォルター・マッソ-が洗濯物用のシュートを下まで落ちる場面を演じることになった。彼は挑戦したものの、足場を踏みはずしてまっさかさまに14フィートも下の舞台に転落してしまった。「マッソーは頭蓋骨を骨析し、脊椎を損傷し、肩を脱臼していました」
すかさずワィルダーは注を加える。「12週間も撮影を中断しなくちゃいけなかったんだ、あの時。」

このあともジャック・レモンは、ワイルダー映画に関わっては、心臓発作を起こしあるいは骨折をしたすべての俳優の名前を延々列挙し、すっかり会場の雰囲気を忌々しくし、こう締めくくった。
「今宵、この場に自分がこうして立っていられるのが、どれほど喜ばしいことか!申し上げようもありません!」

それまでも喜劇役者としてすでに業界内では実力を認められていたジャック・レモンでしたが、はじめてビリー・ワイルダーに声をかけられたときのことを、こう残してます。
レストラン『ドミニクス』でディナーを楽しんでいると、“悪名高い”監督ワイルダーが通りかかり「ちょっだけ私たちのテーブルに来ないか」と誘う。
「いいストーリーがあるんだ。」ワイルダーは続ける。「主人公はふたりの若い男で、彼らはヴァレンタイン・デーの虐殺を目撃するんだ。ふたりは失職中のミュージシャンなんだが、殺人者に顔を見られてしまったせいで、変装して姿を隠さなければならなくなる。お金もない彼らは、女装して女性ばかりのバンドに入れてもらう。映画の3/4は、かつらをかぶっていることになるな。
 君、その役をやらないか?」
レモンはイエスと答えた。
ワイルダーはオーケー、といって立ち上がった。「じゃあこっちから連絡するから‥‥」
「ところで、なんてタイトルの映画なんですか?」レモンはワイルダーの背後から叫んだ。
彼は振り向いて答えた。
「『お熱いのがお好き』、さ。」

こうして演技派喜劇俳優と名うての監督の名コンビが誕生します。他のキャストの心臓を壊しまくりながら。
お読みいただくとおわかりのように、ビリーが言うほど脚本素材そのものはさほど“面白そうなハナシ”ではありません。だがそれをキチンと洒落たスクリューボール・コメディとしてつくりあげ、興行的にも大ヒットさせてしまう。ここにビリー・ワイルダーの敏腕ぶりが察せられましょう。

ビリー・ワイルダー自身も脚本を書くほど普段からジョークが好きだったようで、ほうぼうのインタビューでもなかなか気の利いた答えを返しています。
ここでは撮影エピソードのひとつとして、名コンビの傑作『アパートの鍵貸します』でのインタビューをば。

『アパートの鍵貸します』で、自分の部屋を上司が秘書との浮気に使っているために帰宅できない、という場面がある。外はひどく寒い。クリスマス直前の話なのだ。
レモンは上着の衿を立て、がたがたと震えながらセントラル・パークをぶらつき、ベンチに腰をおろす。そのままではきっと風邪をひいてしまうだろう。さらなる拷問を私たちは考えていた。私たちはレモンをセントラル・パークに行かせ、さらによけいなことには雨まで降らせようと考えたのだ。
“たいへん残念なことに”その日雨は一摘も降らなかったので、ホースでレモンをずぶ濡れにすることにした。もちろん、路上にも水をまかなければならない。作業を開始するやいなやニューヨーク警察のパトカーがブレーキの鋭い音を響かせてやってきた。
「なにをなさってるんですか?」
「映画を撮ってるんです。ここに許可証がありますよ」
「じゃ、どうして水をまいてるんですか?」
「雨の場面を撮っているからじゃありませんか」
「それはまずいですよ。
 こんな寒さのなかで水まきなんかされちゃ困ります。こんなに気温が低いんですから!
 その水が凍って、アイスバーンができてしまう。そうしたら車も人もスリップしてしまう」
私は答えた。「オーケー。わかりましたよ。危険であることは納得いたしました。水をまけば凍ってしまう。
 だったら、水のかわりにアルコールをまくことにしましょう。それだったら凍らないわけだから」
「アルコールぅ?」警官が尋ねた。「アルコールをまく?そんなことを許可してもいいのかな?」隊長らしき人物は困ったような顔をし首を振った。
私は彼にいった。「たとえば、交通事故の遺族に対して5000ドルほど寄付するとしたら、アルコールに対する許可をもらえませんか?」
警官は答えた。「いいでしょう。ただしアルコールなら凍らないということを保証してくださるならですが」彼は5000ドルを受け取ると、パトカーに乗って去って行った。

私たちは撮影を続けた。まもなく2台目のパトカーが現われた。続いて3台目、4台目も‥‥。
ハリウッドから来た馬鹿どもが映画を撮っていて、いくらか金を巻き上げられるらしいという話がどんどん広まっていったからだ。
さらにそのまま撮影を続行したところ、2、3日後にはブルックリンやクイーンズからやってきたパトカーがずらりと並び、あれこれと言いがかりをつける順番を待っていた。

とはいえ、これはひと昔前の話だ。
その後、ニューヨーク警察には、こんな金銭強要が起こらぬよう監視するコミッショナーのポストが設けられた。いまやすべては完璧な監視のもとにおかれ、ことは順調に運ばれるようになった。
ただ思うに、そのコミッショナー代のほうがかえって高くつくようになった。

(引用はHellmuth Karasek(瀬川裕司・訳)『ビリーワイルダー自作自伝』文藝春秋刊 1996.4より。一部抜粋改稿・適宜改行。)

この古き良き時代の後、ハリウッドのコメディは次第に失速します。不毛の60年代を経、やがてテレビでウケたコメディアン頼みになるのは、ご案内のとおり。
いよいよわれらSNL時代が、近づいてまいります。
初出:2004.08

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このサイトは、かつて「Lankin' A Go! Go!」というサイト名で別URLにて公開していたネタや記事を多く改稿・転載しています。


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