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マイクおじさんのクリスマス

毎年、年の瀬も迫り街中がクリスマス・デコレーションで彩られる頃になると、決まって思い出すマイクおじさんの話が幾つかあります。
マイクおじさんはクリスマス・シーズンの頃になると決まってとびきりサエた文章を書いていて、それらは日本版のみの編集で『ロイコのクリスマス』という冊子として刊行されたこともあります。

今回はクリスマス前になると慌てて慈善事業に努めはじめる小市民のスケッチを、ひとつ紹介します。



ミシガンアヴェニューにあるレストランオーナーが、クリスマスになると頻繁に起きる問題で、私へ電話をかけてきた。
オーナーは、恵まれない子供たち100人のために自レストランでパーティを開くことにしているのだが、なぜか予定の半分しか頭数を確保できない、と事情を説明した。パーティをわずか2日後にひかえ、彼はいま血眼で残り50人の恵まれない子供たちを探している。
「どこへ行けばいるでしょうね」と彼は私に尋ねる。
孤児院を当たってみたかどうかたずねると、まだだ、というので、私はある孤児院の名前を彼に教えた。
数分後、ふたたびオーナーから電話がかかってきた。
「残念ながら、全員すでに予定が入っていた」と彼は報告してくれた。そうなるとあとは、ほかの孤児院や社会福祉施設を手あたりしだい当たってみてはどうか、と助言するぐらいしか、私にはできなかった。
だが駄目で元々と覚悟しておくよう、と私は彼に忠告した。今となっては遅きに失した感は否めまい。クリスマス前の最後の週ともなれば、恵まれない子供たち、とくに孤児たちはみなきれいに出払う。


問題は、一年のこの時期にだけ孤児の需要が急増することなのだ。
誰もが同じこの時期に最低ひとりの孤児を必要とする。その結果クリスマス直前の孤児院へ、クリスマス休暇やクリスマスの晩餐の席に恵まれない子供を必要とする個人需要者だのパーティその他催しに大量の子供を必要とする教会や友愛組織だのから電話が殺到する。
そして多くの人間が一様に落胆させられることになる。
たしかに、クリスマス直前に“なにか人のためになることをしたい”という衝動に駆られているのに、それができないときほど欲求不満に陥るのは、大いに同情する。


そういえば去年もクリスマス・イヴの午後になってから、ひどく憤慨した様子で若い女性から電話がかかってきた。
なんでも、数人の友人と寄付するため古着やオモチャを集めてまわったものの結局肝心の寄付場所がひとつも見つからない、という。社会福祉施設にも何か所か電話をかけてみたが、その日はどこも休みだったらしい。
電話をかけてきた女性がどんなに落胆しているかは先刻承知だし、私はできる限り力になろうと、クリスマスが終わり施設が業務を再開するのを待ってみてはどうか、と鉾先を変えてみた。衣類やオモチャなら、クリスマスが終わってからも必要だろうから、と。
「でも、そのときはもうクリスマスは終わってるじゃない」とその女性はいった。「それじゃ意味がないでしょ」
言いたいことはよくわかる。ラジオがクリスマス・ソングを流し、街中がクリスマスツリーの灯で飾られているうちに恵まれない人びとを助けられれば、それに越したことはない。はるかに大きな満足感を得ることができる。早すぎても、遅すぎてもだめなのだ。
8月にエッグノッグを飲まないように、真夏のなんの変哲もない週末に孤児を招いたりはしない。そこで需要と供給の問題が生ずる。クリスマスが終われば、その瞬間から、恵まれない人間のほうはピンからキリまで選りどりみどりで揃う。いっぽうその時、大多数の人々はすでに大晦日の計画で頭がいっぱい。しかも大晦日には別に孤児はいらない。


そこで、恵まれない人びとに手を差しのべようと思ったら、計画を早めに立てるようにする。大晦日の日の予約と同じで、こちらのほうもぐずぐずしていては遅れをとってしまうのだ。
少なくとも計画は感謝祭のころから立てはじめるべきである。できれば、より前からが望ましい。
クリスマス用の立派な行為も、計画を早めに立てれば、選択幅はかなり広がる。
たとえば、同じ孤児でも、男の子より女の子のほうがいいとか、性別以外にも大きさ、肌の色といったことに関しても好みがある人がいるかもしれない。だが、クリスマス休暇が迫ってきてからでは、そんな希望も望みどおりにかなえられる保証は皆無に等しい。


しかし、いざ恵みを施すのに必要な人間を探すときにも、不便なことがいろいろとある。
たとえば買物をするときのように物色してまわる便利な方法がない。
電話帳では恵まれない子供たちのいる場所がリストアップされていないし、孤児院や小児科医院あるいは老人ホームなどに勝手にずかずかと入り品定めしてまわるわけにもいかない。
新聞は、寒さや飢えに苦しむ家族や長屋住いの孤独な老婆の話を探しだしてくることでそれなりに健闘しているとはいえ、それだけではとても需要に追いついていない。


おそらくいま必要とされるのは、クリスマス専用カタログだろう。外見はシアーズやウォードが出している商品カタログと同じものなのだが、なかは各種の恵まれない人びとが掲載されているカタログである。
断言はしかねるものの、カタログに目を通したあとやっぱり子供よりも年老いた寡婦のほうがよさそうだ、などと考える人間も出てくるのではないか。
それにカタログで場所さえわかれば、同じように食料品を入れた箱を置いてくるときでも、教会の地下室の配給センターに置くよりは直接恵まれない一家の戸口に置きたいと思う人の方が多いだろう。そのほうが、持っていった時にじかに感謝の気持を受けることができるから。
そんなカタログがあれば、立派な行ないをするとき土壇場になって慌てふためくこともなく、ゆっくりと落ち着き計画を立てられる。


なにより一番いいのは、誰も落胆せずに済むことだ。
クリスマスは年に一度しかやってこない。もろびとこぞりて立派な行いをするチャンスに恵まれてしかるべきだ。
なにしろ“また今度の機会に”となると、また1年待たなければならない。
(Mike Royko "Sez Who? Sez Me", Warner Books Inc; 1989
より私訳。適宜改行。)

2005.11.26初出
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