1 ワッシャー、バネ蓋、ナットなどをさがすときのために、磁石を用意すること。He somehow gave us a sense of revelation ... He created a genre and was a giant in it.
以前どこかに、お笑いテキストの笑える賞味期限は最長でも100年ていどだと書いたことがあります。
ステファン・リーコックというと、ホームズ物のパロディ・パスティーシュ先駆者のほうが先に思い出される向きもあるやもしれません。
さて、初代のロバート(Robert Benchley)。
Ganache:馬の下あご。
このほかたくさんのお笑いテキストも残し、のみならず物書きだけで飽き足らなかったか当時定着していたメディアにはほとんど足を突っ込んだようです。
ジャズ・エイジ世代のひとりに、ドロシー・パーカー(Dorothy Parker)という才女がいました。詩や古い映画のシナリオなども書いたそうなので、名前をご存知の向きもおありでしょう。とはいえ、生きていれば我が愛するマイクおじさん、それに前にちょっとだけ紹介したラッセル・ベイカーやA・バックウォルドの“母親”と同世代。いうなれば我々からみれば「おばあちゃんの若かった頃のテキスト」なのですが、これがなかなかどうして機智に富み、捨て置くにはちょっと惜しくなりましたので、私訳でご紹介しようかと思います。いやなに、たまたま古本屋で古いペーパーバック買ってみたら、面白かったので…というのが実情なのですが。
「失礼。わたしはウェールズ人でしてね」
どの国でも自国がどんな風に他国の目に映っているのかは、多少なりと関心がおありなようで。
ジョルジュ・ミケシュ(George Mikes)にも、日本見聞記があります。『The Land Of The Rising Yen』がそれ。(歴代トクガワ・ショーグンの奨励した)まったく無意味な儀式が、時として思いもかけぬ複雑な事態を招くことがあった、のは事実だ。
日本の偉大な文学に、47人のサムライの話がある。18世紀の恋と冒険のロマンスだ。
ある大奥の家臣が、ライバルをはずかしめようとして、ある儀式に際し場ちがいなズボンを着用するようすすめる。サムライの受けた屈辱は、耐える限界を越えたものであった。
当然、復讐ということになる。
物語は、47人の復讐心に燃えた勇敢なサムライの、かたき討ちの過程を描いている。
この恐ろしい物語が終わるまでに、47人のすべてが死ぬ。
村々は略奪され焼き尽くされる。
数えきれないほどの人々が襲撃され、拷問を受け、虐殺される。
妻は夫の戦いの足しにと、売春宿に身売りする…などなど、すべては場ちがいなズボンに起因するのだ。
「なんとまあ、ヘンな東洋人たちよ」――と私は考えていた。◇ ◇ ◇
(マジメ・ナ・ヒトと呼ばれる人には)もう一つ特有の義務がある。
いろんな場合に、例えばビッグボスやスモールボスが出発するときにはいつも空港あるいは駅へ行かねばならない。
毎日トーキョー駅では、20人ないし30人の大集団が、毎週決まってオーサカ行――たった3時間先――しかも次の日には帰ってくるひとりのボスへ、感動的なまでの別れを告げている光景を目にすることができるのだ。みんな深々と頭を下げ、列車のあとを数歩走って追い……涙を流すかどうかまでは個人責任に委ねられるようだが。
ところで。イギリスにおけるジャーナリズムと出版の自由について(つづく)
【事実】
太平洋の一孤島キャラマックのブブラック族が、ちょっとした暴動を起こしましてね。
R・L・A・T・W・ティルバリー陸軍大尉指揮のもと、10名のイギリス人の一団と2名のアメリカの兵隊が島を襲撃し、217名の原住民の暴動常習者を投獄したそうです。おまけに大規模石油集積所を2箇所、ぶっ壊しました。
イギリス人の一団は1時間半ばかりちょいと上陸し、1名の負傷者も出すことなくに基地に引きあげました。
さて、この出来事がどう報道されたか?次の記事は、広く読まれている新聞社に掲載されたものです。
ザ・タイムズ
単なる一孤島急襲の意味を過大評価することは実に危険だが、過小評価するのは更に危険であるとここで明確に公言しておく必要があろう。我々が襲撃に勝利を得たことから考慮すると、原住民の防備に損害を与えることは至難技ではないことは自明の理である。
しかしながら、この決断を実行すれば原住民を当惑させ、騙討と同義になるだろう。捕虜にされた革命家の数は明らかではないが、216人を越え218名には達しない模様である。
国会にて
あなたが代議士であるとします――何ごとも不可能であるとは言えませんからね。
こんな演説も空前のことではありません。女王陛下配下の閣僚の一員から、次のような演説がなされることもあり得るのです。
「この場で、21ケ所の石油集積所に関する次のような情報を申しのべたい。
本年上半期に大量の原油が、わが国陸軍、海軍により潰滅されました。
しかしながら、イギリス海軍航空隊による流失を除けば、その流失量は前年度の同月の流失量の約3倍の半分の量、つまり、2年前の流失量の2/5の7倍半であり3年前の流失量の1/6の12倍の3/4にすぎないのであります。」
(閣僚の席からあがる大歓声)
ここで代議士であるあなたは、つと立ち上がり、こんな質間をします。
「閣下。
閣下は我が国の国民が、キャラマックが急襲されたのであり、ラガマックではない、という事実に疑間を抱き、案じておりますことを御存知ですか?
1892年8月2日、今、私がなした演説に、加えるべきことは何もありません!」
イヴニング・スタンダード(ロンドン・デイリー)
キャラマック急襲についての最も興味をよぶ記事は、レジィ・ティルバリーがベイズウォーター伯爵家の五番目の子息であるという事実である。彼はオックスフォード・ブルーで鳴らしたクリケット選手であり、ポロも極めてうまいそうである。記者が彼の妻(レディ・クラリッセ、エラスーン卿の令嬢)にクラリッジズで今日インタビューした時、彼女は青いスーツに黄色の羽根つきの黒いボンネット姿であった。彼女はこう述べた。
「レジィはいつでも実戦にはひどく関心がありましたわ」それからこう言い添えた。「主人は戦争にかけては機知にとんでいますでしょう?」
イギリスでジャーナリズムの自由を謳歌するならば、あなたはザ・タイムズの編集者に手紙を書くことだってできるんです。そう、こんな風に――
貴兄、キャラマック島急襲によせて、キャラマック島と申せば
イギリスのすぐれた詩人ジョン・フラットが
1693年『ザ・ゴット』という有名な詩を書いた、太平洋に浮かぶ一孤島であることに
私は少なからず関心がある故に、申しのべたい……。
手紙を投函したその翌日、あなたは編集部からのこんな返事を読んでいるかもしれません。
拝啓――
氏から、ジョン・フラットの詩『ザ・ゴッド』に注意を向けるようにとの
御手紙を頂戴して、心より感謝する次第です。しかしながら、私の見解では、
イギリス国民の大多数の読者と報道員は共に、世に流布されている困惑に値する
多大な誤認をしておられると思われ、この機会を利用し訂正させて頂きたい。
貴兄御指摘の『ザ・ゴッド』はジョン・フラットが1693年に書き始めたと言え
書き終えたのは1694年1月初句であったとだけ訂正させて頂きたい。
敬具
もしあなたがアメリカ紙、ザ・オクラホマ・サンのロンドン特派員なら、『ヤンキーらが太平洋を制覇した』とだけ打電するだけ。
そう。ただ、それだけ。
わが国でデイヴ・バリーといえば『デイヴ・バリー 日本を笑う(Dave Barry Does Japan)』なんでありまして、007といえば『二度死ぬ』、SFといえば『チバシティ』…ま、そういう島なんありますよ、オラが国は。イナカモノ・コンプレックスに根づく「オラが村びいき」が見え隠れするんでございます。
そんな「デイヴの秘境探検を笑う」シリーズを少し離れ、ここでは『デイヴ・バリーのアメリカを笑う(Dave Barry Slept Here)』をご紹介します。
『アメリカを笑う』原文『Dave Barry Slept Here』の一部は、左の表紙クリックでご覧いただけます。
毎年、年の瀬も迫り街中がクリスマス・デコレーションで彩られる頃になると、決まって思い出すマイクおじさんの話が幾つかあります。
さてここで、わがマイクおじさんにご登場いただきます。
マイク・ロイコが亡くなり、もう何年が過ぎたでしょう。いまやたくさんの人が、だれかしらの名前をジーンズにつけることがきわめて重要なことだと考えている。
わざわざ犠牲をはらい、ズボンの尻に目をやった人すべてに、カルヴァン・クラインやグロリア・ヴァンダービルド、ダイアン・フォン・ファーステンバーグ、ビル・プラス、ボンジュール、あるいはサスーンだかなんだかいう男のジーンズを瞬時に知らしめたいと思っているのだ。
これまでわたしは、尻に垢の他人の名のついたズボンをはいたことは一度もない。そういう尻のたしなみ教育は教わらなかったからだ。表になにかラベルがついているものを身につけたという記憶はほとんどないのだ――靴を除けば。その靴は一時期「ドクター・ショールの靴」という名で流行したもので、ゴム底に「加硫加工処理・防油性」と押印してあった。
そうそう、そうだった。飲み屋の店名入りのソフトボール・ユニフォームを着たことはあった。だがこれはファッションに妥協したというよりも、このユニフォーム代を出してくれたうえに、常日頃もちょいちょい客に酒を振舞ってくれる飲み屋のおやじの顔を立てた服であることを、言い添えておいたほうがよいだろう。
だがデザイナージーンズの場合、尻にカルヴァン・クラインの名前をつけるだけのことに、人びとは嬉々として割増料金を払うのだ。言い方を代えれば、わざわざ広告掲載料を支払い、カルヴァン・クラインやサスーンといった奇人の宣伝をしている。しかも自分の尻を媒体に使ってまでも、だ。
なぜ尻にデザイナー名なんかつけたがるのか。あるとき私は若い女性に尋ねたことがある。彼女の返事はこうだ。
「たとえばリーヴァイス・シックのジーンズだって、いいことはいいの。
値段だってずっと安いし、デザインだって申し分ないし。
でも、パーティで誰かが私の後ろを見たとき“リーバイス・シック”って書いてあるのに気づいたら、やっぱり恥ずかしいもん。」
そりゃ、そうだろう。尻にリーヴァイス・シックなんて書いてあったら、私だって恥ずかしい。(Sez Who? Sez Me 1982)
「マイクの音はなるべく小さく、な。
そない大きくせなんでも、お客さんには、きちんと聞こえるさかい。
最小限でよろし。
ひとつ、お願いしときます‥‥。」
「えー、たくさんのお運び、ほんまに、ありがとうございます。
落語会に“文枝”の名前をつけただけで、こんなにぎょうさん、おいでいただけるんですなあ。」
「ほんまですなあ。ありがたいこっちゃ。師匠のご威光ゆーやっちゃねえ。
この前なんか13人しか来てくれなんだで。(場内、笑)
こんなに来てくれはるんやったら、毎回“文枝追悼”と刷り込んどいといたら、ええんとちゃうか?」
「次に、開催するときは“三枝追善”‥‥」
「こらこら!(場内、笑)まだ生きたぁるがな!あんた、思うてても、そないなこと言うたら、あかん。」
「なんや。お前も、願うとるんやないか‥‥(場内、大爆笑)」
「わたしら弱輩の演るこういう寄席が新聞に載せてもらえるコトなんて、滅多にないんですが。」
「はいはい、そうですねん。(新聞の切り抜きを広げ)、ほら、天下の朝日新聞にこない大きく、載せていただきましてん。」
「“師匠である文枝の追悼会を開催。実力派4人が生前の師匠を偲び‥‥”うわあ!実力派やて!
わしら、実力派やってんや!(場内、笑)」
「ちゃうねん、ちゃうねん。
この記事書かはった記者の人、あんまり落語を知らはらへん人やったらしわ。
んで、そない有名でもないわたしら弟子たちの会やし、書くのに困らはって、そない書いたらしい。」
(場内、笑)
「(前の演者がいる上座を指さし)あやつ、〜のところ、こない言いよりましたやろ。
ほんまは、違いますねん、あれ。
師匠やったら、こないな風に‥‥」
「この高津さんでは、師匠もほんまに、よう演らせてもらえてまして。ええ。
ここにこう、座らせてもろてても、あん時の師匠、思い出しますわ‥‥。(場内拍手)」
「このネタは先代(四代目)師匠から“直接つけてもろたネタやさかい”言うて、
たいへん大事にしていたネタでして‥‥。
ワタクシが演じるのもおこがましいネタなんでございますが、演らさせてもらいます。
一席、おつきあいのほどを。」
「師匠ほどの芸達者になるには、まだまだ修行せなあきませんが
門下一同、文枝師匠の芸をこれからもきっちりと伝えてまいります。
どうぞよろしくご贔屓願います!」
「じつは入門した頃が近かったこともありまして、小米の名の時代から、ちょくちょく仲良くさせてもろてまして‥‥」とひとしきり枝雀とのエピソードをマクラで触れたのは、唯一、仁鶴だけ。仁鶴さんと枝雀さんがそんなに古く長いつきあいある仲であることを、ワタクシ、この会ではじめて知りました。演しものは『壷算』。パンフレットには『代脈』と印刷されていますが、なにか枝雀さんとのいわれのある思い出深いネタゆえの土壇場変更だったのかもしれません。
「パーっとした」存在の例と申しますと、枝雀君とこの雀々ですか。
彼が『猿後家』という噺の稽古に来た時に感じたんですが、雀々の芸が、まさにパーっと華やかな噺ですな。
あれは努力してできるもんやない。持って生まれたもんなんですね。
教えてて、そう感じましたな。
桂枝雀は、桂米朝一門下では最も人気があり、持ちネタも師匠・米朝に次ぎ多かった実力派噺家のひとりです。「枝雀」の襲名としては二代目。米朝師匠の律儀で几帳面な噺の技術をきちんと基礎として修得した上、さらに自分流の演技・演出を模索。ちょっと血のめぐりの悪い登場人物(東京落語でいう「与太郎どころ」)を本当にバカバカしく大きな仕草と表情をまじえ演じさせれば当代一、「爆笑王」の名でファンも多かった落語家です。CDで聞くよりもDVDで見るほうが面白く、DVDで見るよりは間近で演じてもらうほうがさらに面白い芸風で、大人気を博します。
桂文枝は上方落語界では由緒ある名で、先の3月12日鬼籍へはいられた文枝師匠は五代目の襲名。私の場合、弟子をとる基準で一番ネックになるのが「なまり」です。言葉に「なまり」があったら、まずあかん。広島から来た子やとか、関西圏でも城崎から来た子や小豆島から来た子にもなまりがありましたよ。
そういう子らには「無理してはなし家になったって、しんどいことやから、やめといたほうがええ」と言うて帰らしました。昔から「はなし家は近畿二府五県の中に入っておれば大阪弁にもなんとか馴れてくるもんやが、その他の出身者はあかん」と言っていましたからね。
すっかり訓示垂れジジイと化したラッセル・ベイカー(Russell Baker)ですが、NY Timesに書いていたころのものは楽しい文章が多かったように記憶しています。今も不定期で署名記事が掲載されているそうですが、目にとまることが少なくなりました――あ!そっか、私がそういうカタい記事ページを読まないからじゃん!
「昔のラッセル・ベイカーって、面白かったよね」と感じていたのはどうもワタクシひとりではなかったようです。
「所をどこといたす?主水町と耳にしたが?」
しまいに身ぐるみ剥がされ、旦さん、丸裸にされっまっせ。」 (今の祭りは)自分とは関係のないよその土地の祭りを泊りがけで見物に行ってるわけですな。の余韻色濃く残る、市街地の夏祭りのひとつです。
「あそこへ行って、こういう祭りを見物しよう」 というのが今の祭りですけど、われわれの時代には「自分とこの祭り」という考えで楽しんでました。
祭りは参加するもんやと思うんですよ。
その中にとけこむ楽しさがあるんやないでしょうか。(『あんけら荘夜話』)
その文枝師匠、今年も恒例高津落語会で、話芸披露いただけました。
文枝師匠ご本人については、大阪・日本橋の「山崎」という料理屋さんのサイトで『あんけら荘夜話』ほぼ全文をオンライン公開されておられ、女将さんがお好きなのでしょうね、けどいいのかなあ?こういうの、まだ絶版じゃないのになあ、版権とかヤヤこしくないのかなあ、などと思いつつ、とても大部の資料を入力しておられ、ご関心のある向きにはご一読をおすすめします。戦後の壊滅寸前だった上方落語のいきさつと復興の様子が偲ばれ、さらに師匠の半生までが概観できる大変オトクな資料となっております。よかったら、文枝師匠の年金の足しになると思って買ってください。
『『米朝一門会』はほうぼうで息長く根気よく演り続けられ、回を重ねるごとに盛況になりました。ここ10年ほどは1500人ほどの会場にも入りきれず、簡易イスや立ち見が出るほど盛会な催事です。
12月中旬、忠治は膳所の風評を耳にする。
「金輪際、半睡たがはず」
忠治が去って後のこの地の磊落ぶりは目にあまるものがあった。平素、忠治はその酒量が一斗樽とまで言われるほどの豪傑肌で知られた。従者を引き連れ大盤振舞いをよくした忠治を懐古し
『ウンベルト・エーコの文体練習』に歓喜した理由は、そこにあります。新潮社、エラい!もう1回ぐらい誉めておきましょうか?新潮社、偉い!…この人類学の新潮流の方法も、深刻な誤謬へと通じうるものであった。その例としては、研究者が研究した<モデル>に文化の威厳を認めたがゆえに、記述の対象となった原住民が直接生みだした資料に立ち戻って、その資料から集団自体の特徴を推論した場合である。
こうした<歴史記述幻想>の典型的な一例は、まさしくミラノの集落に関して、1910年にドブ・ドブ博士(ドブ)によって出版された『イタリアの集落と<リソルジメント>信仰』と題された書物によってあたえられる。
その本のなかでこの研究者は土地住民の歴史文書に基づいて半島の歴史を再構築しようとしている。
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ミラノ原住民の一日は基本的な太陽律に則って展開する。朝早く目覚めるとかれはこの住民の典型的な職務へと向かう。それは栽園での鋼鉄採集、金属形鋼の栽培、可塑性素材のなめし、屋内化学肥料の売買、トランジスターの種蒔き、スクーターの放牧、アルファロメオの飼育などである。
しかしながら原住民は自分の仕事を愛してはおらず、できるかぎり働きはじめるときを遅らせようとする。
興味深いのは、集落の長たちがそれを助け、たとえば通常の輸送手段を排除し、初期の路面電車の軌道を撤去し、ケモノ道に沿って描かれた幅広の黄色い縞(あきらかにタブーの意味が込められている)によって交通を混乱させ、遂にはもっとも予測不可能な地点各所に深い穴を掘り、そこに多数の原住民が墜落し、おそらくは土地の神々に捧げられているものと思われる。
こうした集落の長たちの態度を心理学的に説明することは困難であるが、こうしたコミュニケーション儀式の破壊が死者復活の儀式に結びついていることは違いない(明らかに浮かぶのは、地球の胎内に住民集団を拘束し、かれらの生贄から子孫が、それもより頑強で屈強な人々が生まれてくるであろうということである)。
しかし住人は即座に神経症的症候群によってこの長たちの態度に反撥を示し、一見自然発生的に生じた、ある崇拝を入念につくりあげたのである。
正真正銘の集団的熱狂の一例であるこの崇拝とは<貨物地下鉄崇拝(チューブ・カルト)>とよばれる。
つまり特定の時代には町中<騒音>が蔓延し、原住民たちは、いつの日か巨大な乗り物が地球の胎内を移動し、奇跡的な速度で個々人を集落のいかなる地点にも運ぶ日が到来するという神秘的ともいえる確信に取り憑かれているのである。
わが調査団の信頼できる有能な一員であるムアパシュ博士は、ある時点でむしろ<騒音>とは何らかの現実的事件に端を発しているのではないかと自問するに至り、これらの洞窟に下りてみた。
ところがたとえ僅かなりとでも噂を正当化しうるものは何ひとつ見つからなかったのである。(ウンベルト・エーコの文体練習 和田忠彦 訳 新潮社 1992 を適宜抜粋改行)
「あ!な〜るほど。
筒井:笑いの種にしても面白くない人もいるし、本当は笑いの種にしたら目茶苦茶面白いんだけども、だからこそ皆黙っている(笑)、「これだけは言うたらあかん」という人がいる(笑)。
筒井:あれは子供のくせに、息子がずうっと好きでね。もちろん米朝さんの全集持ってますからそれもずっと聞いてましたけど。今日お目にかかる言うたら羨ましがってね(笑)。
米朝:また値がつき出したんかいな。
筒井:これで発狂する人も出る(笑)。自由の女神がフランスヘ新しいファッションを見に行く言うて大西洋を泳ぎ出す。最後は奈良の大仏が、鎌倉の大仏に会う言うて歩き出す。これを聞いた鎌倉の大仏が迎えに行く。途中、浜松あたりで逢うて立ち話をしてるときに、シリコニーが宇宙へ帰ってしまうので、大仏さん二人がとうとう立ち仏になってしまう。
『昭和上方漫才』ですね。こちらも面白かったです。が、ダイラケやいとこいなど、演芸寄りのハナシが多く、ついてゆけない内容があったのも正直な感想です。おふたりとも演芸一本槍ですからね、楽屋話や演芸についての眼が厳しくなるのもトーゼンなことで。
筒井:「自殺悲願」いう短篇でぼく、それ書きましたよ。鴨居から紐かけて首吊ったら、家が壊れるの(笑)。
もう、これは「どうだ!このラインナップ揃えてやったぞ!」といわんばかりでしかも出版動機が「寿勲記念」でつまりはたいへん朝日新聞的出版物ですが、それでも
米朝:SF的な「天竺徳兵衛」という芝居がありますわな。徳兵衛が誰かを仲間に引きずり込もうというので、道頓堀の料亭へ連れ込んで、そこで飲んだりいろいろやっているうちに、「結局それは海賊やないか」「今、鎖国をしてしもうたから、鎖国さえせなんだら立派な商人で、海賊ではない」「やっぱりやめる。わしは帰る」「帰れるもんなら帰ってみなさい」と言うて、障子をパッと開ける。波音という太鼓がドドンドーンと。大海の真ん中なんや。道頓堀の料亭やと思うてたんが実は船なんや(笑)。